1979年~1981年

1979年(昭和54年)2月:大柴燈護摩供に、三身即一の「応供の如来」現形

阿含宗創建の翌年、総本山建立予定地において、「節分星まつり大柴燈護摩供」奉修中、突然、焚き上げている大護摩の火炎が、およそ六、七メートルの高さの巨大なホトケのご尊体と変わる。
修法が終わって道場に帰り、ご霊示を仰ぐと、
「われは応供の如来である。供養をうけるぞ」
というご霊示がさがった。
しかも、このお姿が、如来の現形として写真に納められる。当日の参拝者2万人。添え護摩木100万本突破。
※仏様の現形の霊写真は畏れ多いため、普通のお護摩の炎を掲載)

 
 

1979年(昭和54年)4月:東京都千代田区平河町に、東京総本部道場竣工

弘法大師請来の仏舎利が奉安される。
※左の写真は、東京総本部の外観
※右の写真は、仏舎利が奉安された内陣

 
 

1980年(昭和55年)2月:大柴燈護摩供に「金龍様(跋難陀龍王)」現形

難陀龍王の弟にあたる龍神で、特に金運如意のお力を持つ。
※仏様の現形の霊写真は畏れ多いため、普通のお護摩の炎を掲載

 
 

1980年(昭和55年)3月:「解脱供養」が開始される

死後、成仏できずに苦しむ先祖を仏陀の成仏法をもって、解脱させ、「斉の広場」、あるいはこの世界から、冥界(冥土)に送りとどけるとともに、その影響を受け苦しんでいる子孫を、深層意識にある先祖の強制意識の抑圧から開放する。

 
 

1980年(昭和55年)11月:インド仏跡巡拝の旅

旅の最後は、祇園精舎(サヘート・マヘート)の霊跡。ミラクルの池の古跡に立ったとき、突如、なぐりつけるような白銀のバイブレーションとともに、仏陀の声を耳にする。
「この地を東の国に移せ」

 
 

1980年(昭和55年)11月:第14世ダライ・ラマ法王猊下、東京総本部にご来山

法要と法話をされる。
インド仏跡巡拝の旅から帰国の翌日、ダライ・ラマ猊下を東京総本部におむかえする。猊下は修法壇にお座りになり一時間ちかく修法され、信徒たちに長時間の法話を賜わった。

 
 

1981年(昭和56年)2月:この年より、星まつりが密教史上初の金剛界・胎蔵界の両壇護摩となる

山岳密教の開祖、役ノ小角、あるいは理源大師聖宝以来、大柴燈護摩は、金剛界、あるいは胎蔵界、あるいは金・胎不二の、一つの壇で焚くことになっている。
しかし、前年の大柴燈護摩供では信徒ではない参拝者が急激に増え、その参拝者がともなってきたおびただしい不成仏霊の群れとすさまじい霊障を感得する。
そのために解脱供養の胎蔵壇をきずいても越法(おっぽう)にならないか、敷地の不足する現状で両壇護摩が焚けるか、前年の8月、例祭の修法で仏様にお伺いする。
御霊示はさがった。
「来年、金・胎両壇の護摩を焚くべし」
この年、参拝者20万人、添え護摩木320万本。

 
 

1981年(昭和56年)5月:京都大仏鎮座祭
1982年(昭和57年)5月:第1回京都大仏祭開催

京都・東山の地にある阿含宗本山総本殿の境内地・「応供の如来」現形の地に、弘法大師が招来された仏舎利を胎内に奉安して、丈六の大仏さまを安置。

 
 

1981年(昭和56年)7月:
ノストラダムスの予言「アンゴルモアの大王」の謎を解く

一九九九の年、七の月
空から恐怖の大王が降ってくる
アンゴルモアの大王を復活させるために
その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに
支配するだろう
(『ノストラダムスの大予言』五島勉訳)

著書『一九九九年カルマと霊障からの脱出』において、この予言詩の謎を解く。
「恐怖の大王」は人間を滅亡させる悪の大王であるが、「アンゴルモアの大王」は、それに対抗する、そこから人類を救済する善の大王だった。
それは何か?
「アンゴルモアの大王」とは、アーガマとモンゴルの複合文字であり、阿含(アーガマ)を説いたモンゴルの王、それはまさしく仏陀釈尊をさしている。
(仏教学の権威中村元博士は、断定はされていないが非常な可能性があるという含みで、仏陀はアーリア人ではなく、あるいはモンゴリアンであった、と言われておられ、管長は直感的に、仏陀はモンゴリアンにまちがいないと確信)
※上の図は、複合文字「アンゴルモア」の読解図
※下の写真は、著書『一九九九年カルマと霊障からの脱出』

 
 

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