1954年~1975年
1954年(昭和29年)8月:阿含宗の前身、宗教団体「観音慈恵会」設立
27才のおり、仕事の挫折と、宿痾である結核の再発の打撃によって自殺をはかった。その時、奇跡的に現れた経本に命を救われて以来、凖胝観世音菩薩をご本尊とした観音信仰に入る。
以来、この観世音菩薩の救いの力によって人々が救われれば、自分の功徳となって因縁が切れてゆくと考え、観音慈恵会をはじめて求道生活に入る。
会の名称は、きっかけである観音の慈しみと恵みからとったもの。
1959年(昭和34年)7月:凖胝尊・因縁解脱千座行を開始
昔から、密教門において最高の因縁解脱法、とされる凖胝尊因縁解脱千座行法を復元完成し、信徒に指導を開始する。
「凖胝尊」とは、凖胝如来という仏さまをご本尊とするということで、凖胝如来の本地(本体)は釈迦であり、釈迦如来の応化の仏とされている。
なお、この凖胝如来は、如来(仏)であると同時に、観世音菩薩とされている。したがって、凖胝如来とも凖胝観世音菩薩ともおよびする。これは、本体が釈迦如来なので、仏部に属するが、その衆生を救済するはたらきは、慈悲の菩薩の代表である観世音菩薩であるとする。この仏さまの最大の功能は、「因縁解脱」。
※下の写真は、因縁解脱千座行法の本尊として、信徒一人一人が授かった御宝塔。


1969年(昭和44年)8月:宗教法人「大日山金剛華寺観音慈恵会」となる
1970年(昭和45年)1月:初護摩にて「念力の護摩」を公開の場で焚く
その後、東京本部他で2度、公開修法する。このお護摩では、凖胝観世音菩薩さまが、お護摩の炎で身を荘厳され、現形される。
「念力の護摩」とは、密教の最極秘伝として伝えられるもので、マッチやライター等を使わず、念の力だけで、火を出してお護摩を焚きあげるという密教最高の難行といわれる。
※初護摩とは、毎年元旦に、その一年の福を祈って修される福徳宝生のお護摩。
1970年(昭和45年)4月:世界平和祈願の大柴燈護摩供を初修法
富士・天母台(あんもだい)において、世界平和祈願の大柴燈護摩供を初修法する。参拝者・修行者200人、添え護摩木10万本。
※写真は、機関紙『聖火』の表紙を飾った天母台の大柴燈護摩供の護摩壇。

1970年(昭和45年)11月:
小田慈舟大僧正猊下より「如意宝珠法」の伝授を受ける
真言宗における有名な学匠であり碩学である小田慈舟大僧正猊下より広島県の御自坊・城福寺において「如意宝珠法」の伝授を受ける。
※写真は、京都道場での伝法
1972年(昭和47年)~1973年(昭和48年):
小田慈舟大僧正猊下より「金剛界法・胎蔵界法」の伝授を受ける
小田慈舟大僧正猊下より京都道場において、「金剛界法・胎蔵界法」の伝授を受ける。
その後、猊下は、御室派の大本山仁和寺のご門跡に出世される。
※写真は、金剛界・胎蔵界の両部曼荼羅
1974年(昭和49年)3月:「ミーティング・オブ・ザ・ウェイ」に招待され参加
アメリカのサンフランシスコで、「ミーティング・オブ・ザ・ウェイ」という世界宗教者会議が開催され、アメリカのヨーガの指導者たちによって、この会議に招待される。
この宗教者会議は、全米に百余のアシュラムをもつ、ヨギ・バジアン師が主催したもの。
ヨギ・バジアン師は、少年時代から求道生活に入り、シーク教、クンダリニー・ヨーガ、さらにタントリック・ヨーガの奥義をきわめたとされている。
このクンダリニー・ヨーガの世界的指導者ヨギ・バジアン師より重大な予言を受ける。
※下の写真右側がヨギ・バジアン師


1974年(昭和49年)8月:第1回夏季伝法会を開催
1975年(昭和50年)2月:
節分・星まつり大柴燈護摩修法開始(京都山科・火打谷)
星まつりというのは、密教特有の「転禍招福、運気・運期転換の秘法」。
すべての人が持つ運命の星と、その年にあたる星とのまわり合わせによる吉凶禍福を調べた上で、各人の当年所属の星を供養し、その年の不幸・災難を消滅し、幸運・吉運の招来を祈願する修法。
参拝者5000人。
1975年(昭和50年)6月:「第2回ユニティ・オブ・マン大会」に招待され参加
ニュー・メキシコ州サンタフェ郊外で開かれた「第2回ユニティ・オブ・マン大会」という宗教イベントに、中央委員として招待される。
大会中央委員長は、ヨギ・バジアン師。
なお、前回の「ミーティング・オブ・ザ・ウェイ」と今回の二度の渡米とも、在米のチベット密教の第一人者である、チョギャム・ツルンパ・リンポチェと会見。
特に、今回は、リンポチェが院長をしておられるコロラド州ボルダー市の密教大学ナロパ学院を訪問。
チベット密教には、ニンマ派、カギュー派、サキャー派、ゲルク派の四派があり、チョギャム・ツルンパ・リンポチェは、カギュー派の指導者として知られている。


