阿含宗創建の意義

仏教の長い歴史の中で、阿含経ほど不当に扱われてきた経典はありませんでした。

大乗般若、法華経、華厳経、阿弥陀経など、大乗経典が華やかにもてはやされ、それらの経典をもとにしたかず多くの教団は宗派がつくられ、伝統教団として、日本の仏教信仰を支配してきました。阿含経は最も低劣な教えを説いた経典とされ、「小乗経典」という名のもとに、だれからも全くかえりみられることもなく過ごしてきたのです。

これは、中国の天台智?(ちぎ)(537~597)による「五時教判(ごじきょうはん)」その他の誤った論説が原因でした。しかし、近年、仏教学の発達により、これらの論説は全くの誤りであることが確認されました。殊に、語学の発達によって、サンスクリット語、パーリ語、さらにはマガダ語による経典研究が進んだ結果、阿含経のみが、シャカの説いた真実の経典であって、いわゆる大乗経典は、シャカ没後の数百年ののちに、創作、あるいわ偽作されたものであることがはっきりしたのです。

しかし、それは、どこまでも「学問」の世界においてであって、信仰の世界においてはその誤りは依然として正されることなくつづいています。大乗経典をもとにして立てられた古い仏教教団が、伝統という名のもとに阿含経を無視し、創作された大乗経典が「仏の説いたもの」として、民衆に間に君臨しております。

民衆に虚偽を説くこの誤謬は、いつか正されなければならなかったでありましょう。

桐山管長が、この歴史上の誤りを正し、阿含宗を立宗して、ブッダの真実の仏教を「信仰」の面から世に弘めることになった意義は、大きく評価されるべきものと思われます。

殊に、それまでかえりみられなかった阿含経の「七科三十七道品」を、仏陀の成仏法として世に出した功績は、特筆されてよいものでしょう。

桐山管長は、著書の中で、このように述べております。

「私は、阿含経を、釈迦の説いた唯一の経典であるからというそれだけの理由で尊べといっているのではないのである。阿含経の中にのみ、尊い<成仏法>が説かれているから、尊びなさいと言っているのである。仏教というのは、成仏教という名称を略したもので、成仏することを教える宗教なのである。だから、成仏する方法を持たない仏教などというものは、存在する価値がないのである。その成仏法が、阿含経にのみ、シャカ自身によって説き示されているのである。だから、私は、阿含経を心から尊び、仏教徒であるならば、必ず読まねばならぬ経典であると言っているのである。

阿含経に七科三十七道品の成仏法がなかったなら、私は、いくらシャカ直説の経典であっても、全く相手にしなかったであろう。そしてまた、同じ理由で、私は、成仏法のない大乗経典を、全く相手にしないのである。」

と。

この言葉は、日本を支配する伝統的大乗仏教教団を十分に怒らせるものであり、事実、その影響は、陰に陽に、阿含宗に強く吹きつけてきております。

しかし、阿含宗信徒三十数万人は、桐山管長の言う、

「ウソの多いこの世の中に、せめて宗教家だけは、命をかけて真実を守り、真実を世に弘めていこう」

という言葉を誇りとし、信仰を進めているのです。

 

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